Vinum et musica laetificant cor.

「ワインと音楽は心を喜ばせる」―ラテン語の格言より。

芸術

困ったことに。

帰省中に、母と祖母と一緒に映画を見てきました。

今回見たのは本木雅弘さんが主演されている「おくりびと」。山形の田舎町を舞台に、納棺師である(となってしまった)主人公と周りの人々、そして背後には、人間の死の「無常さ」や「寂しさ」、そして「美しさ」を併せ持った映画でした。内容もさることながら、主役の本木さんだけでなく、他のキャストの方々や音楽が素晴らしかった。

消え去るもの、儚きものへの美しさを感じるのは日本特有のもの(たとえば桜の散る様子とか)と言われがち、実際そうなのかも知れませんが、仮にそうであるならば、おそらく死に直面した時の美しさや、死者に与えられる「永遠の美」という観念は、一種特殊なものなのかも知れません。英語にエンバーミングという単語があるように。

納棺師による動作の一つ一つが美しく、かつ円滑であり無駄がなく、そして死者に対する祈りの側面を有している。一過性のもの、そしてその場限りで永遠に人の目には見えなくなってしまうもの、というのは、ある意味で音楽にも授けられた特殊な美しさであり、必ず日常の裏側に潜んでいるもの。「潜んでいる」という言葉が間違っているかもしれません。隣り合っている、ものでしょうか。

言葉にすることは、その道の熟達した人でなければ、趣は半減以下になってしまうもの。この文章も、自分自身が素晴らしさを半減させてしまっているような気がしなくもない。ただただ、素晴らしかった。

淡青

淡青というのは、東大のカラーと言うか、学内広報誌の誌名だったりします。大学の公式ホームページなど、ご参照ください。このカラーのいきさつなども、歴史が深くなかなか興味深いものです。

さて、「淡い」ことが好きです。小学生の頃は、水をいっぱい含んだ水彩絵の具が嫌いだったんですが、今はそんなやさしい色もいいなぁ、と思います。いわさきちひろさんの絵は、そんな淡さがやさしく味わえる作品。

小学生の頃は、特にポスターカラーが好きでした。理由は、色のムラがほとんど出ないから。平べったい印象にもなりかねない(プロが描くと全然違うんだと思いますが)絵の具かも知れませんが、境界線をはっきり描くことが出来るし、何よりその硬い感じの色合いが好きでした。(正確には今でも好きです)

ただ、最近は絵を見たいなぁーと思うのが、例えばちょっとした休憩だったり、ほっとした時間であることが多い。だからこそ、いわさきちひろさんのような、淡い色使いの絵が好きになったんでしょうけど…。ただ、大事なのは、そこに強い《印象》が、確実に存在している、ということ。子どもたちの目、仕草、表情など、やっぱり《印象》存在しているものだからこそ、いいと思うのです。

そんなことを考えていたら、やっぱり美術館に行きたくなってしまいました。あらら。

小ホールに潜入

実は連休最終日、すなわち6日にも上野に行ってきました。

何をしに?と言うと、もちろん演奏会に。駐輪場がホームページを見てもわからなかったので、結局芸大に停めさせていただいて(ごめんなさい)そこからてくてく、上野の東京文化会館の小ホールまで。佐藤久成(さとう・ひさや)さんのリサイタルがあったのでした。実はひょっこり招待券をいただいて、せっかくだから行ってみようと。ベルギーの作曲家ヴィクトル・ヴルースのヴァイオリン・ソナタの日本初演という点にも惹かれまして…。

ヴルースのソナタは、個人的にはシンディングの作品とグリーグの作品の間のような感じでした。激しくうなるような低音、歌うような高音、その間を結ぶアルペジオなど、いかにも玄人向けのヴァイオリン・ソナタという感じ。有名なフランク(ヴァイオリン・ソナタが素晴らしいですね)とも時代は近かったようで、その辺の影響も受けているらしい。確かに、と納得でした。

実は会場となった東京文化会館の小ホールは、初潜入でした。先日の読売の演奏会も大ホールだったし、オケで小ホールを使うことはまずないですし…。上に球があるんじゃないかと思わせるなだらかな傾斜をもった天井に、左右の高い石組み、そして特徴的なパネルのような反響版。写真では見たことがあったんですが、何だか石でできた教会のような、不思議な空間でした。これも一種の芸術作品かも知れませんね。

音響的にはシューボックスが一番(?)なのかも知れませんが、ホールも楽器のボディのようなものなんですから、特徴的なデザインであれば尚のこと見て楽しい。オペラシティのタケミツメモリアル、水戸芸術館(実は行ったことがない!)、池袋の東京芸術劇場などなど、ホールの中だけでも壮観といった感じがする。簡単に言えば、ハコなんだけれど、それをどのようにデザインするかというのは興味深い仕事ですね。楽しそう。

さてさて、今日は早めに休んで、明日またがんばろうと思います。ちなみに後ろで鳴っているのは、シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」。いい曲だわ。それでは、また。

清潔感

「清潔」という言葉、「清潔」ということ、「清潔」感が好きです。

先日(といってももうだいぶ前になりますが)、国立新美術館にフェルメールを見に行きました。フェルメールの絵は、どこか自分の中にしっくりくる感覚があって、見ていると気分が落ち着きます。何でだろうと考えると、清潔感を感じることが出来るからなのかと。

かと言って、部屋はあまりきれいな方ではないんだけれど、曇りがないというか、空気が濁っていない(ほこりとかではなくて)状態が好き。ここでいう空気って言ってもいろいろな意味があるんだけれど、まずは基本的な部屋の空気。空気清浄機とかがちゃんと作用するもの。ほこりっぽいと咳が出るし、あまり心地いいものではない。やっぱり濁っていない、その動きがいい意味で「見えない」ものがいい。

上と少し矛盾するけれど、清潔であることは整理整頓されているということとは違う。雑然と本がつみあがった状態だからといって、清潔さを感じないかと言われるとそうではないし、逆にすべてがきちんと整理整頓されている状態は確かに「セイケツ」だけれど、どちらかと言うと威圧感を感じることもある。(もちろん、ある程度きちんと整理整頓されていた方が、清潔さを感じやすい状態にはしてくれると思いますが。)

人やものが発する空気が持っている清潔感。フェルメールの絵からもっとも感じるのはこれかも。自然に出ている空気というか、雰囲気というか、それが清潔な印象。もちろん、絵としては何かが書いてあったのに実は後で消された後があるとか、題材自体が日常的なものであって神聖なものではなかったりするので、その内容が清潔かと言われると、それとはまた違う。絵の全体から感じる空気、においや、目で見る感触、それらが清潔さを演出しているような気がする。

何となくこれは人に言えるような気がして、清潔さを感じさせるような格好だったりっていうのがある。その人となりにも大きく由来するとは思うんだけれど…。まとまりがつきませんが、今日はこの辺で。
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