Vinum et musica laetificant cor.

「ワインと音楽は心を喜ばせる」―ラテン語の格言より。

読書

花鳥風月

前の日記にある通り「大地の子」を読んだことだし、本に関することをもう一話書こうと思う。

僕は、本とは3つに大別されるものだと考える。一つは、読まなければならない本。それは授業のためであれ、常識人としてであれ、あるいは仕事をしていく上での専門的知識を得るものかも知れない。次に、読みたい本。これは、例えば友人の話だったり、映画化の話題だったりして、頭のどこか記憶に残っているもので、本屋さんに行ったら早速探してみたい、というもの。最後の一つは、その場でふと読みたくなった本。今日は一番最後の、ふと読みたくなった本の話。

文庫売り場に向かうことが多いせいか、ふと読みたくなる本は文庫が多い。もちろん、コストパフォーマンスという意味でのお得感もある。まず、表紙を見て中身を想像する。(表紙が素晴らしければ、即決することもあり。)次に、本を裏に返して、話の内容をざっとチェック。これが第一関門。次に、裏表紙を見て、その本が何か賞を受賞しているかどうかを見てみる。最近感じるのは、何か賞を得ている作品は(最終的には自分の好き嫌いにかかわるが)当たりが多いように思う。

最後に実際に数ページ読んでみる。ここで何を見ているかというと、僕自身は話の流れよりもむしろ、「擬態語」「擬音語」の使い方を重視する。「しゃあしゃあ喋る」とか「ころころ眠る」とか、時々大ヒットするものがあり、それが一定以上多ければ、おのずとその場面が思い描けるし、よし買ってみよう、という気になるのです。言葉が言葉として、豊かなものということが感じられる作品、という具合になるのかな。(そういうものは文字列を目で追っていくだけでもきれいな気がするのです。)

さて、次は何を読みましょうかね。

10年越しの

ついに読みました。

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山崎豊子 『大地の子(一)?(四)』 文春文庫、1994年


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中学時代の、英会話学校の先生に言われたのがきっかけだったので、足掛け11年でしょうか。これまでは(いつも読むような他の小説よりも長いせいもあったし)、そもそも扱う題目がどうしても重いのでついつい避けてきてしまいましたが、一念発起してこの一週間で読破しました。文芸書では全3巻ですが、文庫では全4巻となっていて、余計に長さを感じますが、それだけに内容ともどもやはり重みのある本でした。

英会話学校の、その穏やかな先生が、真剣に「これは読みなさい」とおっしゃっていた本。当時は「何かそんなドラマやっていたような気がするなぁ」程度だったのですが、ともかく、今読めてよかった。自分の将来を見る上で、必ず読まねばならない本、避けては通れない一つの関門をようやくくぐったような、そんな達成感がありました。

すでにドラマ化もされているし(陸徳志を演じられた中国人の素晴らしい俳優さんが話題になりましたね)、実はそれも断片的に見た記憶があったのですが、見ると読むとはまたやはり違います。当たり前と言えば、当たり前ですが、文字を追う方が画面を見るよりも場面それぞれが鮮やかに写り、自分の中にも深い印象を残す気がします。特にこの小説のような綿密な調査に基づいて書かれたものは特に。

ただ、読破とは言っても、やはり辛い箇所は多かった。悲しいやら可哀想やら、痛ましいやら申し訳ないやら、自分の中でもよく分からなくなってしまう部分もあり、(だからと言って、自分の周りの人をカテゴライズする気はありませんが)思わずさらりと読み飛ばしてしまう部分も多かった。本当はそういう箇所こそ読まなければならないし、それをせずに読破したとも、現実を直視したとも言えない気がする。

感想はあまりにも言葉につきない(むしろ自分の中でもまとまっておらず言葉には出来ない)ものですし、書けば月並みになってしまうような気がするので胸の奥にじっくりと沈めておこうと思います。それでこそ、今の世界を見る一つの視点を得ることができるし、それではこの先どうするかを考える指標にもなる。うぅん、どうにもこうにも文章には出来ないです。

Hello! Santa Claus!

メリークリスマス!

ルドルフを先頭にしたトナカイのそりでサンタクロースは無事に世界を回ってこれたでしょうか。ちなみに、それぞれのトナカイにはちゃんと名前があるんだって!知らんかった。(でも昔どっかの本で読んだような気がしなくもない…曖昧だけれど。)クリスマス前は不思議なぬるい天気でしたが、昨日と今日は冬らしいぴりりとした一日でした。

クリスマスのお話はたくさんあるけれど、今でも特に印象に残っているのはスノウマン。絵だけの、でもとてもきれいな絵本。これは一種のキャラクターとしていろんなプレゼントにもなっているし、例えばマグカップにスノウマンの素敵な笑顔が描いてあったりもする。最後はちょっぴり切ないけれど、わくわくして、絵を見ているだけ坊やとスノウマンの会話が聞こえてきそうな、とても楽しい本。

もう一つ、すごく好きなのは『子うさぎましろのお話』(佐々木たづ著、三好碩也絵、ポプラ社、1970年)。何を感じるかということを言葉にするとすごく安くなってしまってあまり好きではないのですが、何か必ず胸にストンと落ちるものがあるはず。線の細い、でもとても温かく描かれた絵も素晴らしいものだなぁと(今になっても)思います。そして発刊が1970年だったなんて、とても驚きました。

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuss der ganzen Welt!


世界のクリスマスが、幸せに溢れるものになりますように。
そして、幸せに溢れたクリスマスをすべての人が感じられる世界になることを願いつつ。

まったりの水曜日

思い立ったが吉日!ということで読書シリーズ第2弾!

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井坂幸太郎 『チルドレン』 講談社文庫、2004年

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「オーデュボンの祈り」に続いて読んでみた個人的な井坂作品第2弾。いわゆる連作短編小説なのかも知れないけれど、登場人物はかぶりつつも、それぞれのお話は独立した内容になっているもの。ただ、連作短編と言えば、以前に小川洋子さんの「完璧な病室」(だったような気がする)を読んだけれど、それと比較すると、それぞれの繋がりは密なように思います。

一言で感想を言うとすれば、クール。かっこいい。(前の)バイト先の店長さんは、さすがと思うくらい本を読んでいて、どんなのがいいですかねぇ、ということも時々聞いていたのだけれども、本作の登場人物は、井坂作品の中でも人気が高いんだそうな。いわゆる「型にはまらない」というところは、TVドラマのHEROとも似ているような気がしなくもない。

不思議に感じることは、登場人物の汚い(投げやりな)言葉遣いや、人を殴るという行為が、すがすがしいと思えること。だからと言って現実世界でそんなことをしていい訳ではないけれども。思わず、クールとしか言いようがない、そんな登場人物。彼を中心とする、周りのキャラクターももちろん魅力的で、自然と惹きつけるものがある。(だからこういう連作が成り立つのだと思う)

表紙の絵の奥に、その100倍以上の内容が含まれている本だと思います。そんな表紙も実はなかなか好きだったりします。

じんわりきます

先日学校に行ったら、友人から開口一番「○○くん、疲れてる?」と言われてしまった…!疲れているかどうかはともかく、疲れてるのが周りに悟られてはいかんと思うのです。その場の雰囲気とか、テンションとかにも影響をしてしまうだろうから。がぁん!

そんなわけで、新橋駅で少し寄り道をして、新しい分野を開拓してきました!

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重松清 『きよしこ』 新潮文庫、2008年(第14刷)

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今回が実は、初・重松作品。ビタミンFとか、他にもいろいろと惹かれるものはあったのですが、表紙の印象的な絵に思わず手が伸びました。導入部分を読んで、即購入を決意!

すでに読んだ方に説明はいらないと思うのですが、吃音が悩みの少年のエピソード集で、プロローグに書かれている通り、とても「個人的なお話」です。そこに尚、温かさを感じるのがとても良い。…のですが、最初の方のエピソード―少年が小さい頃―では、気持ちが伝わってくるやらかわいそうやらで、思わず電車の中で読むのを辞めてしまいました。

だんだんと慣れてきて、結局最後まで読み終わったのは、3日後の電車の中だったのですが、解説を付されているあさのあつこさんが書いてある通り(彼女が書いている感想よりも上手に伝えるのはとても難しいと思う)、最初から最後までとても印象に残る作品でした。(何て安い言葉なんだろう…)

お話の中に出てくる「少年」は、どこにでもいるような少年なんだけれど、どこか人間の体温を感じると言うか、あぁそういえば自分もこうだったかも知れない(吃音ではなくて、考えていることとか、感じたことについて)と思ってしまう。また、例えば10年後に読めばきっとぜんぜん違う感想を持つような気がします。

リョコウバトと祈り

アルバイト先の店長さんに薦められて、読んでみました。

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井坂幸太郎 『オーデュボンの祈り』 新潮文庫、2003年

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実は井坂幸太郎の作品を読むのは初めてだったんですが、案外取っ付きやすい(あくまで、個人的に)文章と見た目でよかったです。幾つか感じたこととしては、残酷なことを案外さらっと書いてしまうタイプであること、登場人物のキャラクター設定が非常に特異であること、既成概念を基にしながら実はそれとはかけ離れたことを書いていること、などが挙げられるでしょうか。

リアリティーとの境界線については、あまり書いても仕方のないことなのかも知れませんが、出てくる世界は(いい意味で)非常にファンタジーながら、要所要所に出てくる人の描写だとか、本音の建前の人間関係などは妙にリアルなのが印象的でした。

表紙の絵も抽象画的ですが、内容とマッチしていて好印象。次は短編集も読んでみたいと思います。

前兆に従え

久しぶりにじっくり「考える」本を読みました。

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パウロ・コエーリョ (山川紘夫・山川亜希子訳) 『アルケミスト?夢を旅した少年』
角川文庫、2004年(第31版)



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人は夢を見る。実際は、他の動物たちも夢を見ているのかもしれないけれど、それを現実にする、もしくは内容を表現することは、人間だからこそできるものなんだと思う。この『アルケミスト』は、そんな夢を通じて、今の自分に何が必要か、過去の自分は何を与えてくれるのか、そして将来の自分は何を得たいと思い、何を得るのかを考えさせてくれる作品でした。

実は、この本の英語版も持っているのです。ただ、自分の語学能力がまだまだなので、ぼんやりと理解している部分が多かった。もっとすんなり文章を身に入れて、考えてみたいと思って買ったのが、この邦訳でした。思うに、こういった本の場合は、理解はある程度までであって、むしろそこから自分がどう発展させるかがキーな気がする。

何よりも、文章が美しかった。薄い文庫本の、それも大半は砂漠の中での出来事なんだけれど、砂漠の様子(もちろん街の様子も)、少年の描写や考えていること、錬金術師の掲示など、そのどれもが美しい。澄んだ音というか、澄んだ空気というか、そんな印象を受けました。

ちなみに、似た印象を持ったのは、ディケンズの『クリスマス・キャロル」の終盤(あれは最初のごちゃごちゃがあるからこそ良いのですが)かな。ただ、もちろん、原文の響きは、また違った素晴らしさがあるんだと思います。(あとがきによると、初版はポルトガル語"O Alquimista"、今回の翻訳は英語版より。)

それから、最後に、カバーのイラストがまた素晴らしいことも忘れてはいけませんね。

落日燃ゆ

久しぶりの「読書」のカテゴリー。しかも今まであまり手に取ったことのないジャンルの本を読んでみました。授業で、先生が言っていたような気がして買ったんだけれど、いざ買ってみると、果たしてどの先生に言われたのか忘れてしまった。ともかく、読んでみようと。

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城山三郎 『落日燃ゆ』 新潮文庫、1986年


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太平洋戦争後の極東軍事裁判で、文官としてただ一人死刑宣告を受けた元首相・外交官である広田弘毅の生涯を描いた作品。作品の内容そのものについては賛否両論あるかも知れませんが、文体がはっきり洗練されていて、非常に読みやすい作品だった、というのが自分の感想です。

江國香織さん、だったような気がするんですが、小説の中のフィクションと現実の境目というのは相対的なものであって、絶対的なものではないという文章を読んだ気がします。この「落日燃ゆ」もそんな作品なのかも知れません。あくまで目線は、というかスタンスは、文官として筋を通そうとした広田弘毅。
批判的に読まなければいけないのかも知れませんが、個人的にはすっきり読むのもいいんじゃないかと。

僕としてはこれまでこういったものを読んだことがなかったので、新鮮な印象でした。作者自身の「あとがき」が収録されていないのが少し残念ではありましたが…。一冊の文庫本として以上の価値があるものだったと思います。

行間を読む

ちょっと更新が滞ってしまいました。読書についてはお正月にも少し触れましたが、最近また一段と、電車の中の時間を有効に使うこともあって本をたくさん読みます。

映画になったり、雑誌など取り上げられたりと、何かと話題になった本は読んでおきたいと最近思うのです。何を読んで、何を読まないのかと言われるとその区別はとても難しいですが、最終的には本が持っている雰囲気というか、直感で読みたいと思ったものを買うことにしています。佐藤多佳子さんの「しゃべれどもしゃべれども」(新潮文庫)などは、そのよい例かも知れません。

ところが、どうやら僕自身は本を読むスピードが速い(速読というわけではありませんが)らしい。どれくらいが平均か、というのはなかなか難しいですが、誰それと同じ場所を読んでいると、どうも僕の方が速く読み終わってしまう。もちろん、小説やエッセイ、一部の新書に限られますが…。学術論文は例外。そもそも言葉をかみ締めて読まなければ先に進めないので、ゆっくり読みます。

本を読んでいると、何かと心に留まるものに当たることがあります。文章の構成上、というかストーリー上で重要な役割を持っている言葉であれば、まったく関係ないものもある。それは文章であったり、単語であったり、単語の中でも名詞であったり形容詞であったり、副詞であったりと、それぞれの場合においていろいろで、一般的な法則はないように思う。

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例えば、島田洋七さんの「佐賀のがばいばあちゃん」(徳間文庫)のこんな一節。確か、自分自身が人間関係で悩んでいたときに、触れることになり、とても印象に残っている言葉です。おばあちゃんは偉大な存在であって、やっぱり言葉にも重みを感じる。しかも心地よい重み。

「人に気づかれないのが本当の優しさ、本当の親切。」

最近読んだものでは、江國香織さんのエッセイ「泣かない子供」(角川文庫)よりこんな一節。正確には、デブラ・スパーク著、古屋美登里訳、『蛙たちが死んだ夏』、筑摩書房より、その登場人物の発言ですが…。卒業シーズンでもあるし、多くの友人がそれぞれの道に進んでいく中で、「別れなんてなければいいのに」と泣いてしまった一人の友人に伝えてあげたい言葉です。

「何かと別れを恐れるのは、(中略)人生が別の場所にあると思うからなんだ。わたしが言うのは、人生が君とともにあるのではなくて他にあると思っているからいけないんだよ。
さて、人生がきみとともにあると信じられたら、そうわかったのなら、別れることがまったく気にならなくなる。なんの犠牲も払わずに、すべてと別れられる。」


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本をゆっくり読む、ということにあこがれます。外部的な時間の話ではなくて、もっと内面的に、精神的に本を味わって読む、ということがしたい。それを残念ながら自分自身のせっかちな性格が邪魔をするんだけれど…。ただ、外部的な時間と内面の時間は少なからずリンクしているので、まずは余裕のある生活を心がけること、顔に出さないこと(自分を制限するのではなくて)、そしててきぱきと動くことが大事なのでしょう。

当分は難しそうだけれど、また「ゆっくり紅茶飲みつつ、本を読む」、そんな時間があるといいなぁ。

完璧な病室

この年末年始は精神安定剤的に本を読みまくり、ここ5日間で文庫3冊、新書1冊、ハードカバー1冊という結果に。こんなに読む機会もなかなかないだろうから、読める時に読んでおかないと。

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小川洋子 『完璧な病室』 中公文庫、2006年(第5刷)


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本屋大賞を受賞し、映画化もされた「博士の愛した数式」の著者、小川洋子さん初期の短編集。博士の?の方は非常に有名ですし(こちらも先日読んだのですが)解説の必要はないでしょう。

プロフィールも多少関係しているんだと思うんですが、とりあえずこの2作には人の「生と死」がかかわっていて、全体として博士の?の方は「生」のイメージが、完璧な病室の方は「死」のイメージ(完璧な病室、冷めない紅茶が特徴的)が強い気がする。だからといって短編全体がダークになるかと言われれば、そうでもないんだけれど。

「死ということについて考える」といった文章を読みつつ、自分の今までの人生を振り返ってみると、案外それは遠いものじゃなくて身近なものの気がする。混みあった電車に乗っていれば、必ず喪服と思われる人を見るし、まして電車の遅延のお知らせには「人身事故」(これは直接的な死ではないけれど)の掲示があることも珍しくない。小川さんの作品は、それをあえて正面から見据えている、もしくは冷静に分析しようとするキャラクターが出てくる。

小説としてみれば、博士の?よりも少し現実的でないような部分もあり(こう感じるのは人それぞれかも知れないけれど)、ちょっと趣向が違うといえば違うような気もする。以前、「つめたいよるに」のことを書きましたが、江國さんとはまた違った美しさが小川さんの文章にはあり、装丁のような、全体的にやわらかい光でつつまれている印象を受けました。

音楽で言えば、ヴィヴァルディの四季《冬》の第2楽章のような、またグリーグの2つの悲しき旋律に近い気がする。北欧の曲は愛称がよさそう。個人的なお気に入りは、一番最後に収録されている「ダイヴィング・プール」。いい本を読めました。ありがとうございました。

つめたいよるに

最近、無性に歩きたいと思う。じっとしていることが苦しいこと、何をするか分からないっていう自分の感情から、理性を引き離したいっていう風に、理性そのものが本能的に活動しているからかも知れない。

今日はバスの時間が合わなかったこともあって、三学のバス停から、考え事をしながらつくばセンターまで(約3km)歩いてしまいました。途中でどこかのバス停に寄れば、すぐにバスに乗れたかもしれなかったんだけれど、何となく今日はそんな気分じゃなかった。思えばこの時期に大学構内を歩いていることなんて過去にはなく、少し寂しい構内の様子を眺めたり、そうそう、それから平砂あたりで見た空の色が印象的でした。

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江國香織 『つめたいよるに』 新潮文庫、2004年(第19刷)


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最近電車に乗るときのお供として、何か本を持っていくんですが、今日のお供は江國香織の短編集「つめたいよるに」。ついこの間までは新書だったんだけれど、どうもそんなところから自分を引き離したくて(というか論文体裁のものから離れたくて…)。手元にあった図書券で買ってきました。

江國さんの作品は、どこかブラームスの室内楽みたいな、しっとりした感じがあって(でも奥底にはそれぞれの登場人物の感情があって)、どうも時々読みたくなる。行きの電車の中で、その中の一文に妙に共感してしまって、それが今日は一日頭から離れなかった。どの話かは内緒です。というか、どの話だったか忘れてしまって、あの言葉だけが自分の中に残ってるという感じかな。

本を読みながら、音楽を聴きながら、つくづく、自分は夢の中に生きていて、現実を見ていないじゃないかと思ってしまう。いや、たぶん、そうなんだろう。いつまで経っても夢の中、というのも、じっくり夢を見る場所が今の自分にはないからなのかも知れない。こうして周りばかり見てしまうことも醜いことなのかも知れないけれど。

個人的にはほっとする話、体温を感じることができるというか、安心感を得られたり落ち着ける話が好き。そんなところから見れば、江國さんの本は少し趣向が違う気がするけれど、おすすめとしては「デューク」、「ラプンツェルたち」、「ねぎを刻む」かな。…と今になって思い出した。さて、僕が共感したのはどれでしょう?

感情がどうしようもないところまでいってしまう時、本があること、本当にありがたいと思う。

独立した個性

読書カテゴリーで書くのは久しぶりです。決してネタがないわけではないですよ。むしろ、卒論のあれこれで、論文に関係する書籍以外が読めず、何か読みたいなぁ、と思っていた今日この頃。

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金聖響 × 玉木正之 『ベートーベンの交響曲』 講談社新書、2007年


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最近ベートーベンしか書いていないような気がするけれど、やっぱりそれだけ偉大なのがベートーベン。彼の交響曲がすごいところは、すなわちモーツァルトやハイドンなどと大きく違っているのは、それぞれの交響曲が独立した個性を持っていること。番号それぞれの印象があって、決して他の曲に消されることがない。

たとえば、モーツァルトは最後の3つが有名だけれど、(個人的には38番のプラハが好きだけれど)全部の交響曲をぶっ通しで聴くと今何番なのかが分からない…まだまだ青いですね。まぁー、ロッシーニの序曲集とかもそうなんだけれど。冒頭で分かるのがセビリアとウィリアム・テルくらいしかない。

本の内容はあくまで指揮者・金聖響の視点で見たベートーベンなので、合う人合わない人がいるかも知れないけれど、演奏者としては一読の価値ありという感じでしょうか(少なくとも僕は得るものが多かったです)。さぁーて、次は池辺晋一郎でも読もうか。
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