前に「しゃべりすぎ」という日記を書いたけれども、ともかく自分は①その場で即座に考え、②筋道を立てて順序よく、③相手に話すのが下手というのを実感…。下手、というよりも「へったくそ」なレベルであって、そうした一連の流れのベースになる《論理的に考える》ことがいまだに貧しいのだと思う。否、確実に貧しい。その財が少ない。
残念ながら自分自身、周りからの影響を受けやすい性格なので、例えば普段持っているような本に出てくる「文章」にはかなり影響を受けている。したがって(かどうかは定かでないけれども)、小説を読んでいると言葉遣いが抽象的になってきているのが自分でも感じるし、もっと脳ミソのしわを増やすようなことをしなければならない。
上の文章でさえ、今読んでいる本に影響を受けていることは間違いない。
最近はとにかくこの「へったくそ」な自分に嫌悪感(に近いもの)を抱くようになってきて、どうにかこうにかもがいているような状況である。少しじっくり腰を据えてこうしたことを考えられるのも正直今の間だけだろうし、何とか来年への先鞭をつけたいもの。
残念ながら自分自身、周りからの影響を受けやすい性格なので、例えば普段持っているような本に出てくる「文章」にはかなり影響を受けている。したがって(かどうかは定かでないけれども)、小説を読んでいると言葉遣いが抽象的になってきているのが自分でも感じるし、もっと脳ミソのしわを増やすようなことをしなければならない。
上の文章でさえ、今読んでいる本に影響を受けていることは間違いない。
最近はとにかくこの「へったくそ」な自分に嫌悪感(に近いもの)を抱くようになってきて、どうにかこうにかもがいているような状況である。少しじっくり腰を据えてこうしたことを考えられるのも正直今の間だけだろうし、何とか来年への先鞭をつけたいもの。
ある程度の話術は大事だけれど、話のうまい人のほうが「心」が伝わるとは限らないのが、また難しいところだよね。
ちょっと不器用な方が人間らしくて魅力的だからね。とりけんのよさも大切にね。