演奏会も近いということで、久しぶりに音楽についてのトピックを書こうと思います。

今度のミューズで演奏するベートーベンの交響曲第2番、第1楽章の終盤が好きです。弦楽器の波(ffで「刻み」をしている部分)を乗り越えて、トランペット(古楽器の団体ではナチュラルトランペットで演奏している場合もあり)が響き渡る部分。前半部分ももちろん良いけれど、このトランペットの響きはまさしく「圧倒的」。トランペット以外では出せない音です。

ベートーベンの第2番の調性はニ長調。すでに前の日記にも書いたけれども、このニ長調は宗教的な賛美のようなシーンで多用される響きです。同じベートーベンの「第九」はニ短調だけれども、有名な《歓喜の歌》はニ長調。去年の夏に第九を演奏した時の記憶は鮮明に残っています(あの時は、合唱のすごさに鳥肌が立ってしまったし、演奏の終わりが名残惜しかった)。

オーケストラにはオーケストラにしか出せない音があり、それは単純に他の形態(例えば弦楽四重奏や木管五重奏や吹奏楽など)とは音楽の種類の違いであって、どれしも優劣を付けられるようなものでもない。ただ、少なくともオケという存在は、人類史上最大のアナログ(多くの楽器によって出される音楽はステレオ)音楽装置である、ということはまず間違いないと思う。

要はその中で、いかに構成要素たるか、オーケストラ・プレイヤーであるかということが問題。一糸乱れない、という様子はそれだけでも何か美的なものを感じるし、時には恐ろしさだって覚えるかも知れない。オーケストラの場合、それは聴覚を基準にしたもので(そのためにあえて弓の返しを不ぞろいにしたりするわけだけれど)、一糸乱れない音こそかっこいいと感じる。

一糸乱れないためにどう弾くか。ソロとは全く違うような気もする一方で、基本動作は全く同じ。結果としてオーケストラ・プレイヤーとしてどうするかというのはここに帰結するわけで、なるほど結局大学生の時から一向に悩みは解決されていないじゃないかと思うのです。ドイツ・カンマーフィルの演奏がyoutubeに上がっていて、それを見つつ、こんなことを考えておりました。