ふとそらを見上げてみたり、歩きながら考え事をして思いついたり、そんなひらめきの鮮やかを文章にできたら、どんなによいことだろうと思う。

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江國香織 『泣く大人』 角川文庫、2004年


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気がつけば6月もすでに半ば。が、しかし個人的な予想に反していまだに入梅はせず…。どんよりした曇り空、衣替えの季節には困ってしまう冷たい雨、そして太陽がカァッと照る晴れの空。色んな表情の空とは対照的に、日々の授業やら課題の掲示やら、週ごとに組まれたいわゆる「ルーティーンワーク」が毎日がたんたんと流れていきます。こういう時に限って、何かパンチの効いたものが身近にない(気付かない)のが、残念なところ。

最近、江國香織さんのエッセイを読み返して、こんな風にエッセイを書けたらいいのになぁーと思う。言葉の鮮やかさ、というのは「もの書き」と言われる人の専売特許のようなものかも知れないけれど、例えば、そこにハッとするような擬音語や擬態語が、さらりと含まれていたり、あーこの感じは、こう言えばいいのか(もちろん、それが著者本人が想定したものとは限らないけれども)、という箇所を目で追うたびに納得して安心します。