最近、個人的にではありますが、大学時代に引き続いてバッハの無伴奏ソナタを練習しています。運指や音程は確かに永遠の課題(と昔から僕はよく言われています)ですが、そこに秘められている音楽が壮大で、すごく難しい。あーでもないこーでもないと思いつつ、ミクロな単位を考えていると、今度はマクロの全体が甘くなるし、マクロばかり考えると音に内在された、されるべき厳しさが無くなってしまう。

そんな時に考えるのは、「沈黙」と「静寂」という表面的には音がないという類似の状態の、明らかな差について。無伴奏ソナタやパルティータだけに限らず、バッハの音楽にはその両方が混在(実際は、きちんと順序付けられていて有機的な結びつきがある)していて、緻密な構造で巨大な建造物が創造されているような印象を受けます。

小林秀雄さんの「モオツァルト」の中に「音は音でしか語れない」という一文があるのですが、なるほど、確かにその通りだと思う。言葉にすると何と陳腐なものになってしまうのか、と感じます。(恥ずかしながら筆を進めるわけですが)

静寂とは、例えば月がきれいに出ている夜に遠くの方で何かが鳴っているような、ぼんやりした音が聞こえてくるような、そんな印象。他方、沈黙は、外見は静かなんだけれど、内なる音ばかりが喧騒のごとく鳴り響いて、精神的にはむしろうるさいくらいの、そんな様子。演奏しようとすると、この両方への神経の配分というか、どんな二本足でたてばよいのか、非常に難しい。

つらつらと書いてみたけれど、そこに答えがあるはずもなく、また楽譜と向き合うのですが。これは無限だな。こうして今夜も過ぎていくのです。シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」初演の、その夜に。