今日は午前中に授業がなかったので、久しぶりに少しゆっくりな朝。テレビをつけると、中国障害者芸術団のドイツ平和村の訪問と公演の様子が放映されていました。

テレビ越しではありますが、中国障害者芸術団の公演を見たのは、何年か前の「音舞台」での公演。思わず目が点になったもの。彼女たちの演技の背景にあるトレーニングを知ったのは、だいぶ後になってからのことですが…今年も秋の公演で来日されるそうですね。

ドイツ平和村の様子を見つつ、やっぱりこんな世界の矛盾に一石を投じたいと切に感じた。一人では何も出来ない、と考えることは違うんじゃなかろうか、何かできることがあるはずだと考えていました。感情論に訴えることは、決してそれ自体が説得力のあることではないのかも知れないけれど、例えば平和村にいる子供たちの現状を、戦場の人々はどう考えるのだろうか。

最近、学校の授業で、特に政策の立案と実施の段階における「周知させる」とか「認知させる」ことの重要性を感じる。テレビを含めたメディアは、やはりここに寄与しているわけで、一面的な捉え方は出来ない。不祥事が話題になった某テレビ局にしても、ドキュメンタリーなどは素晴らしい作品(と呼んでいいと思う)を製作しているし、そこは積極的に評価したい、と個人的には思います。

むしろ問題なのは、そういった番組が衛星放送か深夜放送に限られていて(確かに必ずしも高視聴率を取れるとは限らないし)、一般にあまり知られていないこと。先日見た深夜のドキュメンタリーは本当にインパクトがあったし、印象に残る言葉も多かった。

結局のところ、今は我慢の2年間。爆発のエネルギーを溜める時期なんだと再認識した。長期の目標ばかりで足元がおぼつかないのは問題だけれど、やはり芯は持ち続けなければならない。まとまりがないですが、この辺で。