大学のパソコンから初投稿!勉強前のちょっとした息抜きに。

前の日記にブラームスいいねぇ!的なことを書きました。そのせいもあってか、ブラームスの音楽についてあれこれ考えを(勝手に)巡らせています。でも実は、個人的には交響曲は第1番しかやったことがないし、バイオリンの小品も有名なもの以外知らないし、唯一、他の人にはなかなかないと言えば、シェーンベルク編のピアノ四重奏曲第1番を先日やったことくらいでしょうか。

F.A.E.ソナタ(ちなみに古澤巌/高橋悠治が好き)やドイツ・レクイエムなどを聴いていても思うことは、ブラームスの音楽の中ってどこか「恐怖」のようなものが含まれている気がします。(だから聴きたいときと聴きたくないときの差がはっきりしているし、「聞く」ことが不可能であって、必ず「聴かせる」ものになっていると思います。)それじゃ、一体何に対する恐怖なのか。

ベートーベンでも恐怖心はある程度覚えるのですが、その切迫してくる(アジタート的な)感覚とブラームスの「恐怖心」はまたどこか違う気がする。ベートーベンの方が、なんとなく迫ってくるものが具体化されているのに対して(例えば「死」だとか「運命」とか「神」?とか…少なくとも言葉で表せるもの)、ブラームスはもっと漠然とした恐怖に近い感じがします。

だからこそ、例えばブラームスの第1番第4楽章、一番最後のコラールとかが印象に残るのかも知れない。雲の切れ目から光が、というタイプのものではなくて、背中にある恐怖から一種「解放」されたというタイプの印象の残り方。だから実は、(僕個人としては)ブラームスの第1番を演奏するのは、少し怖いのです。畏怖とでも言うのかな。(もちろん超名曲!お気に入りはケルテス/ウィーンフィル)ドイツ・レクイエムは題材が「レクイエム」でもあるし、音楽的な印象としては、その畏怖、という感触が特に強いかも。

だからどうした、と言われると難しいんですが、例えば、何百年も経った建物がそこに建っている、そのこと自体に対する畏怖に近いものを感じるのです。完全性と完璧を備えたからこその荘厳、とでも言いますか。そういう意味ではバッハに近いのかも。やっぱりブラームスのソナタ弾いてみたいなぁ。絶対苦労することになりそうですが。

さてさて、宿題がんばってやろうかな。おしまい。