「清潔」という言葉、「清潔」ということ、「清潔」感が好きです。

先日(といってももうだいぶ前になりますが)、国立新美術館にフェルメールを見に行きました。フェルメールの絵は、どこか自分の中にしっくりくる感覚があって、見ていると気分が落ち着きます。何でだろうと考えると、清潔感を感じることが出来るからなのかと。

かと言って、部屋はあまりきれいな方ではないんだけれど、曇りがないというか、空気が濁っていない(ほこりとかではなくて)状態が好き。ここでいう空気って言ってもいろいろな意味があるんだけれど、まずは基本的な部屋の空気。空気清浄機とかがちゃんと作用するもの。ほこりっぽいと咳が出るし、あまり心地いいものではない。やっぱり濁っていない、その動きがいい意味で「見えない」ものがいい。

上と少し矛盾するけれど、清潔であることは整理整頓されているということとは違う。雑然と本がつみあがった状態だからといって、清潔さを感じないかと言われるとそうではないし、逆にすべてがきちんと整理整頓されている状態は確かに「セイケツ」だけれど、どちらかと言うと威圧感を感じることもある。(もちろん、ある程度きちんと整理整頓されていた方が、清潔さを感じやすい状態にはしてくれると思いますが。)

人やものが発する空気が持っている清潔感。フェルメールの絵からもっとも感じるのはこれかも。自然に出ている空気というか、雰囲気というか、それが清潔な印象。もちろん、絵としては何かが書いてあったのに実は後で消された後があるとか、題材自体が日常的なものであって神聖なものではなかったりするので、その内容が清潔かと言われると、それとはまた違う。絵の全体から感じる空気、においや、目で見る感触、それらが清潔さを演出しているような気がする。

何となくこれは人に言えるような気がして、清潔さを感じさせるような格好だったりっていうのがある。その人となりにも大きく由来するとは思うんだけれど…。まとまりがつきませんが、今日はこの辺で。