最近、一年生とのジェネレーションギャップを多方面で感じる(例えば絵文字がたくさん入ってるメールだったり、会話の内容だったり…)んですが、その中でも特に思うのは「反応速度」の違い。

もちろん、自分が話をする一年生が「一年生全体」のカテゴリーの代表者でもないし、まして実際に快活に、そしてはっきりと話をする、すなわち反応速度が速くてツーカーな子もいるわけです。でも、どうも話をするほとんどの子はなかなか反応してくれない…そんな印象を持っています。

これは果たして、僕の話の仕方がわるいのか、言っている内容そのものがちゃらんぽらんなのかとも思ったりしますが、どうやら他の同級生などの話を聞くとそういうわけでもないらしい。ゆとり教育が、その根源とも言い切れないけれど、少なくとも自分たちとの差はあるわけです。

何より僕自信がもどかしいのは「白黒はっきりつけない」こと。そりゃ、世の中に白黒なんていう二択に収まらないことがたくさん転がっているのも事実ですが、仮に白黒つかないのであればそれ相応の理由があると思うんだよね。そういった部分をなかなか一年生の話から読み取れない…うーん。

他人に依存して物事を進める、という機会が増えているような気がします。例えばこうやってブログを書いているけれど、僕自身の考え方がまるっきりそのまま読み手に伝わるわけはないし、ましては別の意図を汲み取られてしまうこともある。要は、インターネットを利用したからって他人に自分の全部伝えることにはならないってこと、そしてそうした勘違いをしてはいけないということ。

自分の意図を汲み取ってくれるかどうかっていうのは、結局は他人に依存することだけれども、逆にどれだけ相手にわかりやすく意図を伝えるかというのは自分自身の努力にかかっている。そこはいつの時代もかわらないし、「以心伝心」に委ねることは、友達関係とかならともかく、組織運営なんかの詳細な詰めが必要になることには適さないと思う。

話を戻すと、僕がここで述べている一年生は「これは分かってくれているんじゃないか」っていう考えが多分に多いんじゃなかろうかってこと。まず自己の意思をしっかりともつこと。そしてわかりやすく、明瞭に話をすること。話がなければ、行動でわかってもらうとか、その他のことを考え実行すること。

この努力は、どんな場合でも、必要不可欠なように思います。自分への戒めも込めて。