大分上野丘高校、春のセンバツに21世紀枠で出場決定!
前の日記にある通り「大地の子」を読んだことだし、本に関することをもう一話書こうと思う。
僕は、本とは3つに大別されるものだと考える。一つは、読まなければならない本。それは授業のためであれ、常識人としてであれ、あるいは仕事をしていく上での専門的知識を得るものかも知れない。次に、読みたい本。これは、例えば友人の話だったり、映画化の話題だったりして、頭のどこか記憶に残っているもので、本屋さんに行ったら早速探してみたい、というもの。最後の一つは、その場でふと読みたくなった本。今日は一番最後の、ふと読みたくなった本の話。
文庫売り場に向かうことが多いせいか、ふと読みたくなる本は文庫が多い。もちろん、コストパフォーマンスという意味でのお得感もある。まず、表紙を見て中身を想像する。(表紙が素晴らしければ、即決することもあり。)次に、本を裏に返して、話の内容をざっとチェック。これが第一関門。次に、裏表紙を見て、その本が何か賞を受賞しているかどうかを見てみる。最近感じるのは、何か賞を得ている作品は(最終的には自分の好き嫌いにかかわるが)当たりが多いように思う。
最後に実際に数ページ読んでみる。ここで何を見ているかというと、僕自身は話の流れよりもむしろ、「擬態語」「擬音語」の使い方を重視する。「しゃあしゃあ喋る」とか「ころころ眠る」とか、時々大ヒットするものがあり、それが一定以上多ければ、おのずとその場面が思い描けるし、よし買ってみよう、という気になるのです。言葉が言葉として、豊かなものということが感じられる作品、という具合になるのかな。(そういうものは文字列を目で追っていくだけでもきれいな気がするのです。)
さて、次は何を読みましょうかね。
僕は、本とは3つに大別されるものだと考える。一つは、読まなければならない本。それは授業のためであれ、常識人としてであれ、あるいは仕事をしていく上での専門的知識を得るものかも知れない。次に、読みたい本。これは、例えば友人の話だったり、映画化の話題だったりして、頭のどこか記憶に残っているもので、本屋さんに行ったら早速探してみたい、というもの。最後の一つは、その場でふと読みたくなった本。今日は一番最後の、ふと読みたくなった本の話。
文庫売り場に向かうことが多いせいか、ふと読みたくなる本は文庫が多い。もちろん、コストパフォーマンスという意味でのお得感もある。まず、表紙を見て中身を想像する。(表紙が素晴らしければ、即決することもあり。)次に、本を裏に返して、話の内容をざっとチェック。これが第一関門。次に、裏表紙を見て、その本が何か賞を受賞しているかどうかを見てみる。最近感じるのは、何か賞を得ている作品は(最終的には自分の好き嫌いにかかわるが)当たりが多いように思う。
最後に実際に数ページ読んでみる。ここで何を見ているかというと、僕自身は話の流れよりもむしろ、「擬態語」「擬音語」の使い方を重視する。「しゃあしゃあ喋る」とか「ころころ眠る」とか、時々大ヒットするものがあり、それが一定以上多ければ、おのずとその場面が思い描けるし、よし買ってみよう、という気になるのです。言葉が言葉として、豊かなものということが感じられる作品、という具合になるのかな。(そういうものは文字列を目で追っていくだけでもきれいな気がするのです。)
さて、次は何を読みましょうかね。
ついに読みました。
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山崎豊子 『大地の子(一)?(四)』 文春文庫、1994年
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中学時代の、英会話学校の先生に言われたのがきっかけだったので、足掛け11年でしょうか。これまでは(いつも読むような他の小説よりも長いせいもあったし)、そもそも扱う題目がどうしても重いのでついつい避けてきてしまいましたが、一念発起してこの一週間で読破しました。文芸書では全3巻ですが、文庫では全4巻となっていて、余計に長さを感じますが、それだけに内容ともどもやはり重みのある本でした。
英会話学校の、その穏やかな先生が、真剣に「これは読みなさい」とおっしゃっていた本。当時は「何かそんなドラマやっていたような気がするなぁ」程度だったのですが、ともかく、今読めてよかった。自分の将来を見る上で、必ず読まねばならない本、避けては通れない一つの関門をようやくくぐったような、そんな達成感がありました。
すでにドラマ化もされているし(陸徳志を演じられた中国人の素晴らしい俳優さんが話題になりましたね)、実はそれも断片的に見た記憶があったのですが、見ると読むとはまたやはり違います。当たり前と言えば、当たり前ですが、文字を追う方が画面を見るよりも場面それぞれが鮮やかに写り、自分の中にも深い印象を残す気がします。特にこの小説のような綿密な調査に基づいて書かれたものは特に。
ただ、読破とは言っても、やはり辛い箇所は多かった。悲しいやら可哀想やら、痛ましいやら申し訳ないやら、自分の中でもよく分からなくなってしまう部分もあり、(だからと言って、自分の周りの人をカテゴライズする気はありませんが)思わずさらりと読み飛ばしてしまう部分も多かった。本当はそういう箇所こそ読まなければならないし、それをせずに読破したとも、現実を直視したとも言えない気がする。
感想はあまりにも言葉につきない(むしろ自分の中でもまとまっておらず言葉には出来ない)ものですし、書けば月並みになってしまうような気がするので胸の奥にじっくりと沈めておこうと思います。それでこそ、今の世界を見る一つの視点を得ることができるし、それではこの先どうするかを考える指標にもなる。うぅん、どうにもこうにも文章には出来ないです。
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山崎豊子 『大地の子(一)?(四)』 文春文庫、1994年
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中学時代の、英会話学校の先生に言われたのがきっかけだったので、足掛け11年でしょうか。これまでは(いつも読むような他の小説よりも長いせいもあったし)、そもそも扱う題目がどうしても重いのでついつい避けてきてしまいましたが、一念発起してこの一週間で読破しました。文芸書では全3巻ですが、文庫では全4巻となっていて、余計に長さを感じますが、それだけに内容ともどもやはり重みのある本でした。
英会話学校の、その穏やかな先生が、真剣に「これは読みなさい」とおっしゃっていた本。当時は「何かそんなドラマやっていたような気がするなぁ」程度だったのですが、ともかく、今読めてよかった。自分の将来を見る上で、必ず読まねばならない本、避けては通れない一つの関門をようやくくぐったような、そんな達成感がありました。
すでにドラマ化もされているし(陸徳志を演じられた中国人の素晴らしい俳優さんが話題になりましたね)、実はそれも断片的に見た記憶があったのですが、見ると読むとはまたやはり違います。当たり前と言えば、当たり前ですが、文字を追う方が画面を見るよりも場面それぞれが鮮やかに写り、自分の中にも深い印象を残す気がします。特にこの小説のような綿密な調査に基づいて書かれたものは特に。
ただ、読破とは言っても、やはり辛い箇所は多かった。悲しいやら可哀想やら、痛ましいやら申し訳ないやら、自分の中でもよく分からなくなってしまう部分もあり、(だからと言って、自分の周りの人をカテゴライズする気はありませんが)思わずさらりと読み飛ばしてしまう部分も多かった。本当はそういう箇所こそ読まなければならないし、それをせずに読破したとも、現実を直視したとも言えない気がする。
感想はあまりにも言葉につきない(むしろ自分の中でもまとまっておらず言葉には出来ない)ものですし、書けば月並みになってしまうような気がするので胸の奥にじっくりと沈めておこうと思います。それでこそ、今の世界を見る一つの視点を得ることができるし、それではこの先どうするかを考える指標にもなる。うぅん、どうにもこうにも文章には出来ないです。
まだまだ日が短いのがうらめしい。言うなれば「マジックアワー」のあの時間がもう少し長ければいいのに、冬ということに照らせば、暖かいあの日差しがもう少し外気に漂っていてくれればいいのに、と思う。でも今はそれぞれの時間が短いからこその尊さがあって、夕焼けに浮かぶビル街やその向こうに浮かぶ富士の山際が引き立つのかも知れない、とも思う。
今週からはスーツを着る機会が多くなり、今日も例に漏れずスーツ。気持ちがしまる(はず)代わりに、まだまだ革靴でいろいろな場所を歩き回ることは慣れておらず、うちに帰ると普段よりも足が疲れているような感じがする。会社に入れば、これが毎日かと思うと(今は毎日革靴を履いた後の週末などは想像できないけれど)、正直なんだか不思議な気がしなくもない。
ただ、気がしなくもないのは自分が今院生をやっていることとて同じことで、大学一年生にしてみれば「院生て何?」というような感覚を受けることと似ているのかも知れない。(正直言えば、M1の学生から見ても博士課程の学生については、大学内で会うことは別にして、街中で会えば「この人は何をしているんだろうか」と思うことは、まず間違いない。経験から。)
ということで、特にまとまった内容ではないのですが、今日はこれから日本橋へー。先輩?同級生?にお会いしてきます。それでは、この辺で。
今週からはスーツを着る機会が多くなり、今日も例に漏れずスーツ。気持ちがしまる(はず)代わりに、まだまだ革靴でいろいろな場所を歩き回ることは慣れておらず、うちに帰ると普段よりも足が疲れているような感じがする。会社に入れば、これが毎日かと思うと(今は毎日革靴を履いた後の週末などは想像できないけれど)、正直なんだか不思議な気がしなくもない。
ただ、気がしなくもないのは自分が今院生をやっていることとて同じことで、大学一年生にしてみれば「院生て何?」というような感覚を受けることと似ているのかも知れない。(正直言えば、M1の学生から見ても博士課程の学生については、大学内で会うことは別にして、街中で会えば「この人は何をしているんだろうか」と思うことは、まず間違いない。経験から。)
ということで、特にまとまった内容ではないのですが、今日はこれから日本橋へー。先輩?同級生?にお会いしてきます。それでは、この辺で。
女々しいことは書かない、書きたくないと普段思っているのだけれど、今日はどういう訳か(むしろやっぱり)書きたくなってしまった。とても私的な内容ですが許してください。後ほど、ブログとして不適切な内容であると判断すれば(もしくは連絡をいただければ)、鋭意判断して削除します。
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大学時代にお世話になっていた方が急逝されてしまった。
今思えば、実際に顔合わせてお話したのは、年に一度か二度だったから、大学生活の中で実は合計で5?6回しかお会いしていないことになる。そのうち、直接指導を受けたのは、わずか数回といったところだろうか。それでも経験に裏打ちされたアドバイスはとても印象に残っていて、当時のハッとした記憶がある。僕のような人間がこんなことを言うのは失礼にあたるのかも知れないが、もっともっといろいろなことを学びたかった。
先日、別の先生に電話をした際に、亡くなる直前の様子などを伺っていたせいか、今日の帰り道に、このことを考えた時、どうにも悲しくなってしまって、泣けてきてしまった。むしろ空を見上げたのがわるかったのかも知れないけれど、空しいとか悔しいとか「何で?」とかはなくて、やっぱりどうにも悲しくなってしまった。魂の重さ、というのはこういうものかと感じた。
これまでのご指導、心から感謝しております。ご冥福をお祈りいたします。
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大学時代にお世話になっていた方が急逝されてしまった。
今思えば、実際に顔合わせてお話したのは、年に一度か二度だったから、大学生活の中で実は合計で5?6回しかお会いしていないことになる。そのうち、直接指導を受けたのは、わずか数回といったところだろうか。それでも経験に裏打ちされたアドバイスはとても印象に残っていて、当時のハッとした記憶がある。僕のような人間がこんなことを言うのは失礼にあたるのかも知れないが、もっともっといろいろなことを学びたかった。
先日、別の先生に電話をした際に、亡くなる直前の様子などを伺っていたせいか、今日の帰り道に、このことを考えた時、どうにも悲しくなってしまって、泣けてきてしまった。むしろ空を見上げたのがわるかったのかも知れないけれど、空しいとか悔しいとか「何で?」とかはなくて、やっぱりどうにも悲しくなってしまった。魂の重さ、というのはこういうものかと感じた。
これまでのご指導、心から感謝しております。ご冥福をお祈りいたします。
今日は銀座のお店による用事もあったので、新橋→銀座→東京間を徒歩で移動。たまに地下鉄が走っている上の道路を歩くと、いつもと気分が違ってなかなかいいなぁ、と感じます。以前、お知り合いの方の日記に「地下鉄ばかりでは気が滅入る。たまには地上を走る電車に。」ということが書いてあったのだけれど、なるほど納得という感じでしょうか。交通費が出るわけではないので、僕は徒歩になるわけですが。
新橋はスーツ姿の人が忙しく行きかう、働く街。通った時間がちょうどお昼だったこともあり、道路には「ランチ○○円」の看板、それを見ながら思案しているサラリーマン、すでに中に入って美味しそうなどんぶりを食べている人などなど。今日は日差しも少し暖かかったし、年末年始のあわただしさも少し下火になってきたせいか、比較的穏かな印象を受けました。電車の高架下にもちょっと素敵なお店があることも発見。(後から聞けば、とても高級なそうな)
銀座は買い物客で賑わう、豊かさの街。今日は平日だったこともあって、土日に比べればぜんぜん混んでいない感じでしたが、やっぱり数寄屋橋の交差点の人の数はすごいものだったし(これも渋谷に比べれば少ないのかな)、外国人の方の姿も目に付く。きっと大きな買い物をして、GINZAを満喫して帰るのでしょう。僕としては裏通りにあるちょっとしたおしゃれなお店(これも高い!)の雰囲気が好きだったりするんだけれど、もちろん大通りも気持ちいい。
有楽町を越えて東京まで来ると、そこは再びビジネスの街、移動の街。丸の内側のビルに光る日差しはまぶしいものがあるし、お昼の丸の内は人が働いている、という印象を受ける。就職活動中ということもあってか、ビルに入っている企業には目がいくもので、この会社はこんなところにあったのか、あーこの会社は聞いたことがあるなどなど、発見も多い。丸の内の赤レンガの駅舎がきれいになり、広場が整備されれば、きっとまた印象は変わることでしょう。
今日はこれから大学院の冬の懇親会。いわゆる立食パーティ。行かなきゃー。
新橋はスーツ姿の人が忙しく行きかう、働く街。通った時間がちょうどお昼だったこともあり、道路には「ランチ○○円」の看板、それを見ながら思案しているサラリーマン、すでに中に入って美味しそうなどんぶりを食べている人などなど。今日は日差しも少し暖かかったし、年末年始のあわただしさも少し下火になってきたせいか、比較的穏かな印象を受けました。電車の高架下にもちょっと素敵なお店があることも発見。(後から聞けば、とても高級なそうな)
銀座は買い物客で賑わう、豊かさの街。今日は平日だったこともあって、土日に比べればぜんぜん混んでいない感じでしたが、やっぱり数寄屋橋の交差点の人の数はすごいものだったし(これも渋谷に比べれば少ないのかな)、外国人の方の姿も目に付く。きっと大きな買い物をして、GINZAを満喫して帰るのでしょう。僕としては裏通りにあるちょっとしたおしゃれなお店(これも高い!)の雰囲気が好きだったりするんだけれど、もちろん大通りも気持ちいい。
有楽町を越えて東京まで来ると、そこは再びビジネスの街、移動の街。丸の内側のビルに光る日差しはまぶしいものがあるし、お昼の丸の内は人が働いている、という印象を受ける。就職活動中ということもあってか、ビルに入っている企業には目がいくもので、この会社はこんなところにあったのか、あーこの会社は聞いたことがあるなどなど、発見も多い。丸の内の赤レンガの駅舎がきれいになり、広場が整備されれば、きっとまた印象は変わることでしょう。
今日はこれから大学院の冬の懇親会。いわゆる立食パーティ。行かなきゃー。
今日の早朝、東京に戻ってきました。日本橋口のビルから降りてくる冷たい風も、在来線までの長い通路も、長く工事が続くフェンスも、まだ人のまばらなホームも、どれもやっぱり東京。まだ東京自体に住んでから一年も経っていないのだけれど、「戻ってきた」印象を受けるのは何とも不思議な気がします。
夜行バスは夜の高速をひたすら走り、朝(と言ってもまだ暗いうち)に目的地に着く。海外の夜行バス(イメージするのは某有名映画に出てきた寝台付バスだけれど)と聞くと、何となく楽しそうな気がするけれども、国内の夜行バスに乗るとどうも退廃的な?匂いがする気がする。きっと〈穏やかに寝静まる〉というよりもむしろ〈あぁ明日も朝から仕事だ、今のうちに休まなければ〉ということなのかも知らん。
そんな感じで、朝の通勤ラッシュの前までに家に戻り、昼まで寝て、軽いお昼を済ませ、クリーニングにより、銀行ATMにより、最終的に学校に到着。年末から変わらず、パソコンの周りにポストイットはたくさん付いているし、周りの人の問題集やら参考資料はいい具合に散乱しているし、(日本地図には「日本一周旅行」と書かれているし)、お茶もマグカップも割り箸も、年末のまま。学校って感じ。たぶん。
今頃駅は混んでいるだろうから、今日もゆっくり遅めに帰ろうかな。
夜行バスは夜の高速をひたすら走り、朝(と言ってもまだ暗いうち)に目的地に着く。海外の夜行バス(イメージするのは某有名映画に出てきた寝台付バスだけれど)と聞くと、何となく楽しそうな気がするけれども、国内の夜行バスに乗るとどうも退廃的な?匂いがする気がする。きっと〈穏やかに寝静まる〉というよりもむしろ〈あぁ明日も朝から仕事だ、今のうちに休まなければ〉ということなのかも知らん。
そんな感じで、朝の通勤ラッシュの前までに家に戻り、昼まで寝て、軽いお昼を済ませ、クリーニングにより、銀行ATMにより、最終的に学校に到着。年末から変わらず、パソコンの周りにポストイットはたくさん付いているし、周りの人の問題集やら参考資料はいい具合に散乱しているし、(日本地図には「日本一周旅行」と書かれているし)、お茶もマグカップも割り箸も、年末のまま。学校って感じ。たぶん。
今頃駅は混んでいるだろうから、今日もゆっくり遅めに帰ろうかな。
明けましておめでとうございます。いよいよ2009年。
大学を卒業して、大学院に入学したのが2008年の4月。慌ただしい夏学期、今まとは時期の違う夏休み、新しい大学の空気にもだいぶ慣れてきた冬学期、そして冬休み。去年の頭には「駆け抜ける!」と書いたような覚えがありますが、まさにそんな年でした。大学院での新しい友達にも日々刺激を受けつつ(本当は僕からももっと刺激を発信したいと思っているのだけれど…まだまだ勉強不足です。)忙しい毎日でした。
今年は(去年一年間の様子を振り返って)じっくり考えること、《基本》を常に意識すること、自分の生活や考え方を慌ただしさのせいにしない(慌ただしさに紛れないようにする)こと、に気をつけようと思います。それから自分の行動の一番根底にある部分、就職活動でも勉強でも《現場主義》を忘れないこと。過去に対して盲目な者は未来に対しても盲目である、という言葉があるけれども、両方をバランスよく見るように。
言葉を現実にすること。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
大学を卒業して、大学院に入学したのが2008年の4月。慌ただしい夏学期、今まとは時期の違う夏休み、新しい大学の空気にもだいぶ慣れてきた冬学期、そして冬休み。去年の頭には「駆け抜ける!」と書いたような覚えがありますが、まさにそんな年でした。大学院での新しい友達にも日々刺激を受けつつ(本当は僕からももっと刺激を発信したいと思っているのだけれど…まだまだ勉強不足です。)忙しい毎日でした。
今年は(去年一年間の様子を振り返って)じっくり考えること、《基本》を常に意識すること、自分の生活や考え方を慌ただしさのせいにしない(慌ただしさに紛れないようにする)こと、に気をつけようと思います。それから自分の行動の一番根底にある部分、就職活動でも勉強でも《現場主義》を忘れないこと。過去に対して盲目な者は未来に対しても盲目である、という言葉があるけれども、両方をバランスよく見るように。
言葉を現実にすること。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
毎年思うことだけれど、日本の年末は慌ただしい。クリスマスが終わったと思ったらすでにお正月の準備。クリスマスのデコレーションは街から一層されてお正月用の色合いに変わる。銀座4丁目の交差点から見る、通りにずらっと並んだ日の丸付きの街灯はなかなか壮観。
さて、で、今日の早朝、名古屋に帰省しました。バスセンターに着いたのが6時前。名古屋の朝もなかなか寒いですが、空気が違うと言うか、台場で感じる寒さとも、徹夜明けの本郷で感じる寒さともちょっと違う。空気の違いを敏感に感じたのは、バスに乗りっぱなしだったこともあったし、外の空気を吸ったことの開放感も若干手伝ったのかも知れないけれど。
---
今年はとりあえず変化が多かったし、その分考えてしまうこと、悩むことも多かったように思う。もちろん、それだけにいろいろと経験も出来たし、そこから学ぶことも多かったのだけれど「流されてしまった」部分も少なからずあった。自分を律することが難しいと言うのは自明だけれども、そこを何とかしなければならないわけで、きっと2009年はそこが勝負になるような年になるような気がする。あくまで「気がする」程度で、自分の努力次第なんだけれど。
もちろん、今年の出来事(個人的なこと、世界のこと)の中で感じたことが、悩みの発端となって、それがすべて解消されたわけではないし、そのいくつかは(特に主要な部分は)自分が将来どうしたいのか、ということに関わってくることでもあり、長く付き合っていく必要があると思う。ただし、長期的にどうするかということだけでは物事は進まないわけで、常に最善と考えられる選択肢を選んで(少なくともその段階において)小括を持たねばならない。
---
毎年、この時期に振り返ってみると、この一年も本当にたくさんの方々にお世話になりました。昔からお世話になっている方ももちろん、今年新しく会った人、一期一会の人も含めて、本当に心から感謝しております。今の自分があるのは、やっぱり周りの人のお陰だと思うのです。そんな人たちに、自分は恩返しが出来ているだろうか。それを考え出すと不安と後悔は到底尽きませんが、来年もまた、まだまだ未熟ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとう2008年、どうぞよろしく2009年!それでは、よいお年を。
さて、で、今日の早朝、名古屋に帰省しました。バスセンターに着いたのが6時前。名古屋の朝もなかなか寒いですが、空気が違うと言うか、台場で感じる寒さとも、徹夜明けの本郷で感じる寒さともちょっと違う。空気の違いを敏感に感じたのは、バスに乗りっぱなしだったこともあったし、外の空気を吸ったことの開放感も若干手伝ったのかも知れないけれど。
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今年はとりあえず変化が多かったし、その分考えてしまうこと、悩むことも多かったように思う。もちろん、それだけにいろいろと経験も出来たし、そこから学ぶことも多かったのだけれど「流されてしまった」部分も少なからずあった。自分を律することが難しいと言うのは自明だけれども、そこを何とかしなければならないわけで、きっと2009年はそこが勝負になるような年になるような気がする。あくまで「気がする」程度で、自分の努力次第なんだけれど。
もちろん、今年の出来事(個人的なこと、世界のこと)の中で感じたことが、悩みの発端となって、それがすべて解消されたわけではないし、そのいくつかは(特に主要な部分は)自分が将来どうしたいのか、ということに関わってくることでもあり、長く付き合っていく必要があると思う。ただし、長期的にどうするかということだけでは物事は進まないわけで、常に最善と考えられる選択肢を選んで(少なくともその段階において)小括を持たねばならない。
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毎年、この時期に振り返ってみると、この一年も本当にたくさんの方々にお世話になりました。昔からお世話になっている方ももちろん、今年新しく会った人、一期一会の人も含めて、本当に心から感謝しております。今の自分があるのは、やっぱり周りの人のお陰だと思うのです。そんな人たちに、自分は恩返しが出来ているだろうか。それを考え出すと不安と後悔は到底尽きませんが、来年もまた、まだまだ未熟ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとう2008年、どうぞよろしく2009年!それでは、よいお年を。
メリークリスマス!
ルドルフを先頭にしたトナカイのそりでサンタクロースは無事に世界を回ってこれたでしょうか。ちなみに、それぞれのトナカイにはちゃんと名前があるんだって!知らんかった。(でも昔どっかの本で読んだような気がしなくもない…曖昧だけれど。)クリスマス前は不思議なぬるい天気でしたが、昨日と今日は冬らしいぴりりとした一日でした。
クリスマスのお話はたくさんあるけれど、今でも特に印象に残っているのはスノウマン。絵だけの、でもとてもきれいな絵本。これは一種のキャラクターとしていろんなプレゼントにもなっているし、例えばマグカップにスノウマンの素敵な笑顔が描いてあったりもする。最後はちょっぴり切ないけれど、わくわくして、絵を見ているだけ坊やとスノウマンの会話が聞こえてきそうな、とても楽しい本。
もう一つ、すごく好きなのは『子うさぎましろのお話』(佐々木たづ著、三好碩也絵、ポプラ社、1970年)。何を感じるかということを言葉にするとすごく安くなってしまってあまり好きではないのですが、何か必ず胸にストンと落ちるものがあるはず。線の細い、でもとても温かく描かれた絵も素晴らしいものだなぁと(今になっても)思います。そして発刊が1970年だったなんて、とても驚きました。
Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuss der ganzen Welt!
世界のクリスマスが、幸せに溢れるものになりますように。
そして、幸せに溢れたクリスマスをすべての人が感じられる世界になることを願いつつ。
ルドルフを先頭にしたトナカイのそりでサンタクロースは無事に世界を回ってこれたでしょうか。ちなみに、それぞれのトナカイにはちゃんと名前があるんだって!知らんかった。(でも昔どっかの本で読んだような気がしなくもない…曖昧だけれど。)クリスマス前は不思議なぬるい天気でしたが、昨日と今日は冬らしいぴりりとした一日でした。
クリスマスのお話はたくさんあるけれど、今でも特に印象に残っているのはスノウマン。絵だけの、でもとてもきれいな絵本。これは一種のキャラクターとしていろんなプレゼントにもなっているし、例えばマグカップにスノウマンの素敵な笑顔が描いてあったりもする。最後はちょっぴり切ないけれど、わくわくして、絵を見ているだけ坊やとスノウマンの会話が聞こえてきそうな、とても楽しい本。
もう一つ、すごく好きなのは『子うさぎましろのお話』(佐々木たづ著、三好碩也絵、ポプラ社、1970年)。何を感じるかということを言葉にするとすごく安くなってしまってあまり好きではないのですが、何か必ず胸にストンと落ちるものがあるはず。線の細い、でもとても温かく描かれた絵も素晴らしいものだなぁと(今になっても)思います。そして発刊が1970年だったなんて、とても驚きました。
Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuss der ganzen Welt!
世界のクリスマスが、幸せに溢れるものになりますように。
そして、幸せに溢れたクリスマスをすべての人が感じられる世界になることを願いつつ。
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