Vinum et musica laetificant cor.

「ワインと音楽は心を喜ばせる」―ラテン語の格言より。

稜稜

この冬一番の寒さということで、自転車に乗っていると耳が寒い。高校まではこんな空気の中、坂道を駆け下りていたんだと思うと、それはそれですごかったなぁ(楽しかったなぁ)と、ふとそんな感覚が頭をよぎったりもする。今はというと、銀杏並木の続くキャンパス(残念ながらすでに燃えるような黄色の葉はほとんど落ちてしまったのだけれど)を走っているわけで、世の中どう転ぶか分からんなぁとも思う。

昨日久しぶりにゆりかもめの先頭車両に乗って、うつらうつら外の景色を見ていると、その滑らかに滑っていく感じが何とも心地よかった。ビルの谷間を抜けて海沿いを走り、橋を渡ってまたビルの谷間の中へ。都市博の会場として造られた台場の土地の代金はまだまだ回収できていないようだけれど、ゆりかもめの他にはない景色はなかなか良いものです。

目線が高くなる、というのは何か新しいものが見えるということで、それは普段見えない遠くのものであったり(冬の日の朝に見る富士山とか)、眼下を走る新幹線の背中であったり、発見も多い。停車駅から見えるガラス張りの箱(ビル)の中では、色んな人がミニチュアのようにも見えて、会議をしていたり、一服していたり、お茶をしていたりと、同じ時間の過ごし方も千差万別ということを思い知らされるもの。

もちろん、駅の出口ごとに新しい景色の見える地下鉄も好きなんだけど。

今宵小さな火をたいて

以前の日記にも少し書いたけれど、最近Humbert Humbertの曲をよく聞いています。「くるり」のトリビュートアルバム(担当楽曲は「虹」でした)にも参加していたので、そのイメージが強い人もいるのではないでしょうか。特に意図はないけれども、今日のタイトルは、好きな曲の一節から。ここ数日で読んだ本を書きます。

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池内恵 『書物の運命』 文藝春秋、2006年

大学時代の先生の一人が推薦書として挙げていたことが、頭の片隅にあり、よい機会だと思って読んでみたこの一冊。クレジットとしては「気鋭の若手中東研究者による初の書評・文化論」というものだったけれども、その謳い文句以上に、読み物として内容が楽しかった。どちらかというと、文章は鋭く切れ込む感じではあったけれども、それぞれの着目点がとても明瞭に思えたし、扱った書籍も幅が広く、考えさせられる本でした。

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梨木果歩 『村田エフェンディ滞土録』 角川文庫、2007年

上の「書物の運命」の中にも取り上げられている一冊。戦前のトルコ(土耳古)に留学した村田の視点から語られる街の様子、神様の様子、そして当時の土耳古の空気感。どれもが新鮮で、どこか土臭いような印象もあって、とてもよかった。薦めてくれた友人にも感謝感謝です。タイトルの通り「録」なので、あくまでエッセイ風というか、日常のこまごましたことを描いているのだけれど、それ以上に読み手に「問いかけ、考えさせる」ような魅力がありました。

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梨木果歩 『春になったら苺を摘みに』 新潮文庫、2006年

梨木果歩さんの本をもう一冊。ソロモンに行ってきた(そして帰ってきた)友人からのお薦めの本。 滞土録とは打って変わって、こちらは現代の話。いわゆるエッセイなのだけれども、今までに自分が感じたことや今の自分が感じていることを目の前の文章で見るような箇所が多く、「あぁ、さすが仕事だなぁ」と思わされました。英国の緑豊か(そして少し湿気が木になるくらいの)な自然の様子。コミュニケーションのどこか空虚な感覚。自分が同じ場所に立ったら、果たしてその時何を思うのか。

ネオンと省エネ

どこかの雑誌で、「日本の街は美しくない」というものを読んだことがある。なるほど、確かに建物の色も形も趣きもばらばらなものが多いし、逆に丸の内のようにある程度統一感のあるような街の景観は美しい。空間を広めに取り、道や広場から街が興った欧州に比べると、やはりそれは雑多なものであるし、ちょっと騒がしい。

個人的に感じるのはネオンの光の「うるささ」。光は確かに街を明るくするし、例えばオフィスや病院の室内など、薄暗い部屋よりも明るい部屋の方が何となく気分も晴れるような気がする(実際に気分が晴れるかどうかは、その時の自分がかかわっている物事次第でしょうが)。他方、ネオンの光は過度に明るすぎ、目に入る色が多すぎてくらくらする。

最近は池袋に行くことが間々あるのだけれども、ふとネオンサインが光るころになると、その騒がしさに少し閉口する。壁全体を覆う看板の光、道に突き出たネオンサイン、クリスマスのイルミネーションがくすんでしまうほどの明るさ。雑多な街の建物がより際立ってしまうところが、また困る。

先日の授業で、オイルピーク論とかEPR(一種の指標概念)などを聞いたのだけれど、これこれのネオンを削減すれば、だいぶ省エネできるのではなかろうか。こういう研究が行政区レベルでないものか、ちょっと探してみるのもまた楽しいかも。あぁ、でもそれよりも、再来週までのレポート題目+要旨を提出しなければ…。楽しみは、また後で。

しゃべりすぎ

最近何かと「しゃべりすぎ」である、と思う。

大学にいた頃、「大事なところでピンポイントに要点を示して、その場を持っていけるようなコメントをしたいんだけどなぁ」と友達に話したところ、―それって、おれが思う(私自身のの)イメージと真逆だよ、と言われました。(もちろん、否定的な意味ではなく)うーん、なるほど、そうだよねぇと考え込んだのを思い出しました。進歩がないではないか。

授業中に自分で質問をして、なぜその質問をするのか、その疑問をもったのはどういうきっかけだったかを理解してもらいたいがためにしゃべりすぎる。まだまだ頭の中で整理がきちんとできていない証拠なんだと思う。いかにクリティカルな質問だったとしても(たとえば、それが交渉事であったとして)、前置きによって要点がぼやけてしまう。いかん。

自分で自分のことを考えるのは、多かれ少なかれバイアスがかかると思うのだけれど、最近いわゆるエッセイを読むようになったのは、こういう契機に由来するような気がする。なるほど、こんな言葉があったか、こんなフレーズがあったか、と新発見が多くて面白い。すべてを含める言葉があったらどんなによいことか、とも思うけれど、おそらくそれは怠慢でしょうね。

チャリツアー

あぁ、すでに師走。というわけで本を買いに、自転車に乗って御茶ノ水まで。と思っていたら、結局秋葉原まで。

秋葉原の駅前の本屋の品揃えがなかなか良いのです。そして文庫本のカバーの色が選べるところも好きなのです。若干遠くまできたけれども、お目当ての本+αが買えて大満足。買いすぎ、という声はさておいて、まさか陸の孤島で4年間過ごした後に、天下の電気街・秋葉原を自転車で走るなんぞ、思いませんでした。

さて、自転車に乗って見る街の様子は、歩いている時とだいぶ違います。まずは視点が高い。そして早い(そりゃそうか)。歩いているときに見上げる建物は、自転車に乗ったところで見上げることに差はないものの、どこか違っていて新鮮でした。もちろん、ちゃんと走っているときは前を向いていますので、あしからず。

街はイルミネーションがきれい。秋葉原の場合は、電気街の看板が煌々と光っているので、あまり特別な感じはしないけれども、表参道などはきれいらしい。でも、ふと本郷への帰り道に、道沿いの小さい料理屋さんなどに目をやると、小さなクリスマスツリーがあったりや、窓に装飾が描いてあったり、やっぱり自分はさりげないきれいさがいいな、と思うのでした。

空恐ろしさ

まだまだlivedoorブログでの機能がよくわかっていないんだけれど、とりあえずは慣れること、ということで新規記事の投稿です。なるほど、カテゴリーが2つ付けられるのはなかなかよい。

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梨木果歩 『家守綺譚』 新潮文庫、2008年(第7刷)

川上弘美を紹介してくれた友達が、それと並んでお薦めしてくれたのがこの一冊(ちなみにこれと関連していた『村田エフェンディ滞土録』もなかなかよかったです)。いわゆる綺譚集を読んだのは、村上春樹、森見登美彦に続いてのことで、この中では自分にとって一番しっくりきました。

日常的な空虚な出来事、隣人の一言、様々な登場人物との意図せぬ会話など、どこか空恐ろしさを残しつつ穏やかに流れていく毎日が鮮やかです。湖の底は何が「見える」のか。どこか遠くで鳴っているかのような印象を与える会話文の書き方も、作家だなぁと感じつつ読んでおりました。

ブログ引越のお知らせ

諸事情により、drecomブログから、こちらのlivedoorブログへの引越となりました。リンク先が旧アドレスとなっている方はお手数ですが、新しいアドレス(http://kenjirot.dreamlog.jp/)への書き換えをお願いいたします。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

事業仕分け

事業仕分けがマスコミで報道されて注目を集めている中、その議題に研究費があがったことで、大学では来週に緊急討論会なるものが開かれるらしい。自分自身が大学院生でもあって、スーパーコンピュータを含めて研究開発費の減額には「ナンセンス!」と言いたいんだけれど、特にスーパーコンピュータについては議論に科学者がいたにもかかわらず、そんな話になって、なんだかなぁと思う悶々とした日々が続いています。

でも、当の事業仕分け、個人的には学内でもやるべきだと思うんです。研究室宛ての理系の研究費が余っていて、本当に必要なものなの?と思うようなものを買っているという噂は正直絶えないし(以前いた大学では、それが結構問題になったみたいですね)、他の研究科がお金が余ってるかといわれると、むしろ施設だって足りてないし、研究資材も少ないし、そのあたりをもっと効率的にできるのではないか知らん。

やはり研究費の源は税金なわけで、それを使っている以上はチェックが必要、成果がなかなか出ないとしても、研究費はこれだけ有効に使われていて、さらに「無駄ではない」ということをアピールする必要があるんじゃないか。

以前に読んだコラム―確か独立行政法人に関するコラムだったと思うのだけれど―は、その採算性に着目していて、最終的な「黒字」がこれだけ出ているというのは、理想的には「収支がバランスしている」ということがそもそもの前提たる独立行政法人として果たしてよいのだろうか、というものがあった。なるほど、これは大学にも(特に国立大学法人について)当てはまるんじゃなかろうか。このあたり、勉強不足かも知れませんが。

11月、クリスマス

今日は久々にオーケストラの演奏会へ(聴く方です)。友人が出演するということで、半年振りに池袋の芸劇に行ってきました。電車を降りるとそこはすっかりクリスマスの雰囲気。ハロウィンの飾りがなくなったら即座にクリスマスと、秋を愛でる日本人はどこへやらと思いつつも、駅の出口で友人と待ち合わせをして、おしゃべりしつつ会場に向かいましたとさ。(イベントをやっていて、芸劇の周りは穏やかな空気ではなかったけど)

さて、今回は弾いたことのある曲が一つ、聴いたことのある曲が一つ、初めて聴く曲が一つ。やっぱり弾いたことのある曲は、難しいところでは聴いている方も(勝手に)演奏しているような気分になって若干緊張し、バレエ音楽だった中プロは管楽器の上手さに心地よく聴き、メインではソリスト+合唱も入ったことで「人間の声はすごいなぁ」と第九以来の合唱の響きを楽しみ、大いに満足、幸せな時間を過ごしました。

そろそろ自分が出る方も気合入れてやらにゃー。

時には昔の話を

友人に薦められて、今までに読んだことがなかった川上弘美、梨木果歩にチャレンジしてみました。どちらも独特の世界観、独特の描写、独特の空気があって新鮮で、とても楽しめました。

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川上弘美 『センセイの鞄』 文春文庫、2004年

高校時代の恩師「センセイ」と過ごす穏やかで、少し切ない日々。居酒屋、きのこ狩り、旅館など、食事の描写が多く出てくるのですが、どれも言葉が少ないにもかかわらず美味しそうで、素敵でした。体を崩さず国語の先生らしく「正しく」話すセンセイの言葉にも、そこかしこに暖かさを感じて、憎まれ口と酒の肴が好きになりそうな一冊でした。(解説もまた一興です)

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川上弘美 『ニシノユキヒコの恋と冒険』 新潮文庫、2006年

連作短編集。どこかが欠けている(というか「欠落」「欠如」しているという方が正しい気がする)ニシノユキヒコをめぐる物語。それぞれが色々なニシノユキヒコを見ているのだけれど、どこか奇妙な部分が欠けていて、それがまた彼を惹きつける(と同時に離していく)。ふぃと吹く風のような彼の生き方を切なく描いていて、飾らない文章が美しい一冊。

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川上弘美 『夜の公園』 中公文庫、2009年

上の二つに比べると、何となく少し薄味に感じる一冊、でもそこが良い。(アマゾンでの評価があまり高くないのだけれど、個人的にはもう少し星がついてもよいかと思います…。)秋の冷たい風が吹き抜ける夜の公園、暖かい家庭とは少し違う夫婦生活、どこかクールで温度が低めの人付き合い。「りり」の放つ一言とか、「幸夫」のもうどうにもならないような感情の描写とか、ふとしたところに川上弘美の独特の世界があったように思います。
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