ふと気がつけば、3月になっておりました。春はあけぼの、という季節(旧暦と新暦の違いは別として)ももうすぐですね。
さて、突然ではありますが、このブログもそろそろ書き終えたいと思います。大学1年の冬?頃からブログを付けはじめ、何と気がつけば5年も飽きずに(不定期ですが)記事を書いておりました。ということは大学→大学院の間のほとんど、ということになりますね。
書き終える理由は、幾つかあるのですが、
◆ 個人的な印象として、新しいアカウントに馴染みにくかったこと
◆ 公の自己主張に一定の区切りをつける必要があると考えたこと
◆ そして今が書き終えるに相応しい時であると判断したこと
が、挙げられます。内容だけ考えればきっと面白いであっただろうに個人的な事情から書かなかったこと、書けなかったことも多く、またつたない文章であったにもかかわらず、多くの方には継続的に足を運んでいただき(またコメントをいただき)、本当にありがとうございました。
他方、公の場であることを意識して、出来る限り記事の内容には配慮したつもりではありますが、時として、読み手に不快感を与えるような内容となっていたかも知れません。そうした部分がありましたら、意図せざることだったとは言え、深くお詫び申し上げます。
また、ブログに演奏会の案内を掲載したことで、実際に演奏会に足を運んで下さったお客様もおり、ただただ、重ねて御礼を申し上げます。
それでは、またいつか。
さて、買っちゃいましたよ、ついに。そう、前々から実は狙っていたランニングシューズ!(特にブランドにこだわりがあったわけではない。)今日の午前中は買い物をするぞと決めていたのですが、他の靴を買っていてふと目に入り、セールということも手伝って、購入。展示品ということで防水スプレーもおまけでいただき、そんなに高くなくてよかったです。
ということで、走ってきました。
軽い!忘れもしない筑波大のジョグ&ウォークを担当されていた鍋倉先生が「ランニングが苦痛になる原因の大半は靴」(意味はこんな感じだったはず)と仰っていたのを思い出しつつ、走りやすくてスイスイ夜の台場を走ってきました。今まではいわゆる運動靴(これもそんなに重いわけではない)で走っていたのですが、断然こちらの方が足が楽。
良い買い物でありました。
---
明日は大学時代の先輩の結婚パーティー。いやぁめでたいことです。
実は、先週は違う演奏会が土曜日にもあり、埼玉県は所沢ミューズまで行ってきました。こちらではバッハの無伴奏(抜粋)を一曲弾いたのですが、やはりバッハは難しい。弾いている途中にも発見があって(ベートーベンでもあることですが)、底は深く空は高く、本当に素晴らしい音楽です。それをきちんと、丁寧に、響きを作って音にするには…一重に練習以外ありませんね。
他方、日曜日の演奏会は、あまり演奏機会の少ない曲ばかりだったものの友人からは好評をいただいて、ほっと一安心。もちろん、今回も課題は見えて、何よりもリハと違う響きにすぐ慣れることができなかったのが一番の問題か。さらに言えば、頭で分かっていても体が反応しなければ意味がないわけで、いかにそれを自然に指先まで(本番の空気の中で)伝えるのかは、まだまだ意識を高く持たねば。
お忙しい中ご来場いただいた皆さまに、重ねて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
2010年最初の演奏会のご案内です。
---
シンパティコ・チャンバー・プレイヤーズ 2010 演奏会
*日時: 2010年1月24日(日) 開場13:30 開演14:00
*場所: ASPIAホール(京王新線「幡ヶ谷駅」徒歩1分)
*曲目: シュポア/大九重奏曲 op.31
R.シュトラウス=ハーゼネール/もう一人のティル・オイレンシュピーゲル
イベール/トリオの為の5つの小品
プーランク/3つの常動曲
*入場無料(※要招待状)、全席自由
---
演奏機会はそんなに多い作品ではないですが、楽しいものばかりです。特にシュポアは弦楽器1台ずつ+木管五重奏の編成。またR.シュトラウス=ハーゼネールは、今話題の「のだめカンタービレ」でも取り上げられたティル・オイレンシュピーゲルの室内楽編曲版になります。皆様のご来場、心よりお待ちしております。
---
大井浩一 『メディアは知識人をどう使ったか―戦後「論壇」の出発』 勁草書房、2004年
事業仕分けがマスコミにも大きく取り上げられた2009年。賛否両論あったわけですが、個人的には、「仕分け人の選別」と「報道のされ方」という2点に興味を持ちました。ということで、タイトルに惹かれて購入したのがこの本。実際のこの本の流れとしては、副題のとおり戦後論壇がどのような展開を見せたかという点について、記者である著者が分析を加えていくというもの。無論、社会の変化の中では、この本は一事例研究に過ぎないのかも知れないけれど、「分かっていたつもりが改めて文章にされると…」という部分が多く、なかなか興味深かったです。
---
岡本太郎 『沖縄文化論―忘れられた日本』 中公文庫、1996年
下の本とともに大学でお世話になっている先生から勧められた一冊。太陽の塔の製作者でもある岡本太郎さんですが、著書は結構あるのです。しかもそれぞれ読み応えのあるもの(例えば「今日の芸術」など)。
沖縄の文化を通じて、今日の日本の文化の源流を探っていくといった類の内容なのですが、そこかしこに岡本太郎さんの芸術観が出ていて、魅力的なものでした。おそらく不可解な力によって秩序立てられた芸術、というのは彼のもっとも嫌うようなもので(堕落した、と述べられたいましたが)、幾つかは果たしてそうなのだろうかとも思ったり。ただし、「日本とは何か」をひたすら求め続けるその姿勢は、語弊を恐れず言えば、読んでいて心地よいものでした。
---
柳宗悦 『工藝文化』 岩波文庫、2008年(第9刷)
日本民藝館の館長も務めた柳宗悦さんの工藝と芸術ないし工藝における美についての論考。歴史的な美術と工藝の変遷をひも解いた後に、今日の工藝の社会的な地位について批判的に述べ、その真の価値とは何かという部分にまで話の範囲を広げていきます。
あくまで日本を主眼としてこの本は述べていますが、実用藝術としての工藝―ということで、自分の中にはずっと自分の楽器があり、一つひとつの話をそれに当てはめながら読みました。巻末の挿絵小註には16点の工藝品が写真つきで掲載されており、どれもその美しさ(この本の定義によります。)にはハッとします。文化論全体にも刺激を与える一冊でした。
まど・みちおさんと言えば、国語の教科書にも多く載っていたように記憶しているけれど、例えば童謡の作詞(ぞうさん、やぎさんゆうびん等。作曲はどちらも團伊玖磨さん)もあり、ああこの歌もそうだったかと改めて思い、自分の詩が今の子供たちにも歌われているのはどんなに良いことだろうと考えをめぐらせておりました。
もう一つ気づいたことは、日本語の表記の中でも「ひらがな」「カタカナ」「漢字」それぞれの見た目に現れる感覚的な美意識のようなものが、詩の中に的確に出ているということ。青二才の自分が的確になどと言うのは僭越ではあるけれど、そこにはそこにしかない=それ以外では異質な表記であって、それがまた魅力を増しているように感じました。
久々に見たよいドキュメンタリーでした。
今年は変化の年。きっと多くのエネルギーがいるし苦労することも、また新しい楽しいこともあるだろうけれど、とにかく力を蓄えてどんな状況でも対応していくことが求められるに違いない。おみくじは小吉であったけれど、それは「努力せよ」と理解して、精進しようと思います。《人生に必要なのは努力》、大学の恩師の言葉より。
---
ちょっとしたアンケートの中に、お薦めの一冊があるのだけれど、この項目に悩んでいます。どれもこれも色々な面でおもしろいし、その中で一冊を決めるのはなかなか難しい。ただ、そういえばあまり日本の古典は読んでいないなぁと今更ながらに思う。せっかく先日読んだ本も興味深かったし、三島由紀夫の幅を広げてみようか。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
残念ながら自分自身、周りからの影響を受けやすい性格なので、例えば普段持っているような本に出てくる「文章」にはかなり影響を受けている。したがって(かどうかは定かでないけれども)、小説を読んでいると言葉遣いが抽象的になってきているのが自分でも感じるし、もっと脳ミソのしわを増やすようなことをしなければならない。
上の文章でさえ、今読んでいる本に影響を受けていることは間違いない。
最近はとにかくこの「へったくそ」な自分に嫌悪感(に近いもの)を抱くようになってきて、どうにかこうにかもがいているような状況である。少しじっくり腰を据えてこうしたことを考えられるのも正直今の間だけだろうし、何とか来年への先鞭をつけたいもの。
その後は、演奏会の幹事をして下さっている方のお宅でホームパーティーでした。いやはや、きちんと整理されている中であちこちがお洒落で、(家の中で楽器も弾けるし)楽しいお宅でした。クリスマスということで、オーブン焼きのチキンなども。とても贅沢な時間でした。本当にありがとうございました。
というわけで、来月の演奏会がんばります。
忘年会シーズン到来、ということで昨日は飲み会をハシゴでした。結局朝までコースという超・学生的な結果に…。こんなことできるのももう今のうちしかないね。
渋谷で飲んでいたのですが、いやはや、あの街は本当に夜がない。
駅の周りはいつまでも煌々としているし、お店(飲み会をしたところではなく)の中は、真昼のように明るい室内光が照らされているし。この街は本当に時間の感覚がなくなる、というのは大いに納得。それにしてもあそこで働いていた人たちは、一体いつ寝ているんだろう…。(逆に周りからは自分たちもそう見られている可能性は大なのですが)
始発の山手線に乗って一路家まで。ゆりかもめから一面に朝焼けが見えて、ようやく今は朝だと認識したのでした。結果、帰宅後に爆睡→昼にむっくり起き上がってあれこれ片付けと準備→買い物(銀座に寄ったらイベントしてた。誰だったんだろう…。)を経て学校、今に至ります。一念発起する出来事もあったことだし、さ、今からやらねば。
とりけん